天色日和 -amairo biyori-

ふと思う、あんなこと や こんなこと。

「上から目線でアドバイスしてくる人」 を アドラー心理学的に考えてみる

最近、プライベートでコミュニケーションがうまく行かない出来事があり
原因は相手がタイトルのようなスタンスで接してくる事にあるのだが、
毎回これによってただ嫌な思いをするのもいい加減ゲンナリしてきたので(^^;、
相手への理解を深める為に、アドラー心理学の方面から考えてみることにした。
 
ちなみに、この場をお借りして書いているのはアウトプットも兼ねているからです☆
 
さて。
具体的なやりとりは伏せるけど、
「あぁ・・本当この人と付き合うのって難しいなぁ。何でいつも上から目線でいらないアドバイスしちゃうんだろうなぁ?
自分が逆の立場なら嫌だと思うんだけど・・相手に余計なお世話だよって思われるとは考えもしないのかなぁ」
と疑問に思ったので、手始めに自分で考察してみた。
 
 
考察①
承認欲求が強い。(=承認欲求が満たされていない)プラス「教える」ことへの勘違い。
 
考察②
人と接する際に無自覚に劣等感が刺激されてしまい、相手より優位に立つことでしか他者とコミュニケーションがとれなくなっている可能性。
 
考察③
「これを言われたら嫌だろうな」などと相手の気持ちを汲み取る想像力や共感力に乏しい。
 
 
パッと思いつくのは上記の3つかな。
 
 
という訳で、愛読している、
「まんが100分de名著 アドラーの教え 人生の意味の心理学を読む 
監修:岸見一郎+NHK100分de名著制作班」
から該当しそうな項目を探して、読んでみる。
まんが! 100分de名著 アドラーの教え 『人生の意味の心理学』を読む (まんが!100分de名著)

まんが! 100分de名著 アドラーの教え 『人生の意味の心理学』を読む (まんが!100分de名著)

 

 

 
 __〆(._.〟) ジー・・・
 
 
((φ(・д・。) ホホォ・・??
 
 
(。・д・。)b ・・・フム‼
 
 
なるほど・・
本を読んで根本的な部分の理解が深まったぞ☆
 
 
まず、アドラー心理学においては「劣等感」は人類の進歩にも大切なものであると説いていて。
 
ただ、劣等感にも種類があって、アドラーが提唱しているのは「健全な劣等感」。
たとえば「理想の自分」と「今の自分」にギャップを感じて、理想の自分に向かって努力することは健全な劣等感。
つまり、自分自身の中で完結する劣等感は健全ってことだね。
 
ちなみに、この、理想の自分に向かって努力することを「優越性の追求」と言うそうな。
たとえば、
志の高い料理人が “もっと技術を極めなければ” と思って精進したり、
病気の人が今の状態を脱する為にリハビリに励んだりなど、
他者との競争ではなく自己で完結するものは、健全な優越性の追求と言えるとの事。
自分との闘い・・みたいな感じかな?なるほど。
 
話を戻して、では「健全ではない劣等感」は何だろうか?というと・・
それは『劣等コンプレックス』というものらしい。
理想の自分との比較から生まれる健全な劣等感ではなく、
他者と比較して自分は劣っていると感じるのが劣等コンプレックス。
劣等コンプレックスの特徴としては、
日常生活の中で「Aだから、Bできない」という論理を多用して問題から目を背けたり出来ない言い訳をするという特徴がある。
しかし、実際にはAとBには何の因果関係もなく、
ただ本人が “自分が取り組まなければならない人生の課題から逃げようとする” 為に用いるものなのだそう。
 
たとえば、
「赤面するから告白出来ない」というのは、実際は赤面しても告白は出来るし因果関係は無いのに、自分が告白出来ない理由を探して論理付けている状態である
とか。
 
他にも感情を絡めて考えるとするならば、たとえば、「これを言うと心地良くいられないから言いたくない」というシチュエーションがあったとして…
あくまで私見だが、
"感情"は一瞬毎に完結していく性質である為、実際には言おうが言わまいが心地良くいられるかどうかは関係なく、本人の一瞬ごとの意識の向け方次第だ。
よって、もしそれを言う事で心地良くいられないとするならば、本人が"心地良くない状態"を選んで現実化しようとしているに過ぎない。
逆に言えば、"心地良い状態"に沿った伝え方を選ぶことだって本当は出来る訳で、その発想が無いという事は、そもそも"言わなければならない事=心地良くないこと"だと決めつけているからなのであり、それって心地良い悪い云々の話では無くてむしろコミュニケーション能力の領域の話だよね。
"心地良くいられないから"という理由をつけて、自分の課題や相手と向き合う事から逃げたりコミュニケーション放棄してるだけだよね
…と思う。
 
で、さらに・・
この『劣等コンプレックス』と対になる概念として、『優越コンプレックス』というものがある。
優越コンプレックスとは、他者と自分を比較して優越感を感じる・・というもの。
これの特徴としては、自分を実際よりもすぐれているように見せようとすることなのだが、しかし、そのために絶えず他者の評価を気にかけ他者からの期待に応えようとする、と。
・・ふむ、常に背伸び状態ってことかな?しんどそうだな。
 
本当に優れている人は自らを誇示したりしないことについても、アドラーは「もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等意識を持っているからにすぎない」とはっきり指摘している。
 
さらに、優越コンプレックスを持つ人の中には自分のことを自慢するのではなく、
他者の価値を貶めることで相対的に自分を上に置こうとする人もいる(価値低減傾向と言う)・・と。
あーこれはアレか、マウンティングってやつか。
 
・・・ん?
待てよ、他者の価値を貶める?
 
・・・そうか!これ!コレコレ!
 
これだよ、「上から目線でアドバイスしてくる人」って!
(・▽・)これだっ♪
 
つまり、だ。
上から目線でアドバイスしてくる人っていうのは・・・
 
自己成長の為の健全な劣等感ではなく、
他者と自分を比較する劣等コンプレックスが強くて、さらには価値低減傾向による優越コンプレックスもあるから、どうしても上から目線でアドバイスしちゃう
って事だな。
 
 
もっと分かりやすく言うと、
 
 
他人と自分を比べて「自分は劣っている」と錯覚しており、またそんな自分を受け容れられない為、
上から目線で相手を見下す(アドバイスする)事で、なんとか「自分には価値がある」とか「"スゴイ!"と相手に認められたい」と思いたい状態
 
・・・って事か~。うん、納得!
 
しっかし苦しいよね?この状態でい続けるって。
人と関わって生きていくの大変だろうな〜(・_・;)
 
 
ま、とりあえず考察②の
<人と接する際に無自覚に劣等感が刺激されてしまい、相手より優位に立つことでしか他者とコミュニケーションがとれなくなっている可能性。>
は攻略できたかな♪
 
 
ちなみに、優越性の追求を健全に保つ為のポイントも本に書いてあった☆
 
多くの人が陥りやすい間違いのひとつは優越性の追求を「競争」だと思ってしまうことで、「他者よりも優れていようとしたり、勝ち負けで考えてしまう」と、それは健全な優越性の追求ではなく、優越コンプレックスとなってしまうそう。
健全な優越性の追求とは、誰かと比較するのではなく、自分にとっての「マイナス」から「プラス」を目指して努力をすること・・との事でした。
 
 
その他の考察①と③については、とりあえず考察②がメインの回答になっているかなと思うので簡単に。
 
 
考察①<承認欲求が強い。(=承認欲求が満たされていない)プラス「教える」ことへの勘違い。>についてアドラーを引用すると、
 
『特別な人間になろうとする努力をやめて、普通であることの勇気を持つ』
が当てはまりそうかな。
 
「教えることへの勘違い」は、教える原動力が承認欲求から来ているように思われたのでここに含めた。てか、教えるのもアドバイスも質は同じで、“教えてあげることができる私すごい”という特別意識をやめて、“体験を伝える” とか、求められた場合のみ“手助けをし見守る”という意識にチェンジしていくと、もっと円滑に周りとコミュニケーション取れるようになるんだろうけどなぁと思う。「~してあげたい」という言葉自体も承認欲求が見え隠れするよね。
 
承認欲求に関しては生い立ちなどの影響もあると思うから一概には言えないが、
スピリチュアル畑にいて、なまじ何か突出した能力があったりすると選民意識を持ってしまいがち。
 
ちなみに私自身も、若い頃は"頭の中スピお花畑状態"だった為、選民意識を覚え承認欲求が強かったように思う。
でも年齢とともに「あ、自分って思ってたより大したことないや」と深~い挫折感を味わえたことで「でも、普通っていいじゃんね。理想を追い求めるのも良いけど、今の私は身近な幸せ感じられた方がずっと素敵な毎日になるな、きっと」と少しずつ受け入れられるようになった事で、肩のチカラも抜けた。
確かに私自身もまだ「自信の無さ」はあるけれど、そういう自分の不完全さもひっくるめて「私」だなと思えるようになった事で、
選民意識や承認欲求の代わりに自尊心が育ったように思う。「自信の無さ」を受け容れているからこそ別にそこに悩む必要は無く「自信?うん、無いよ!以上」といった感じ。
ちなみに自尊心が育ったおかげで、今では毎日生きてるだけで幸せだと感じられるのようになったり、幸せそうな人達を見ると心がほっと安らぐようになった。
私の場合は、普通でいる勇気を持つことで、承認欲求が薄れていった例にあたると思う^^
 
 
で、えーと・・
考察③<「これを言われたら嫌だろうな」、と相手の気持ちを汲み取る想像力や共感力に乏しい。>についても、アドラーを引用してみると、
『共感的理解』と『課題の分離』
が当てはまりそうかな。
 
共感的理解について、アドラー
“対話で最も大切なのは、相手の目線に立ち共感出来る信頼関係を築くこと”
としており、
他者と関わるうえで最も重要なことは、
他の人の目で見、
他の人の耳で聞き、
他の人の心で感じることだ
という名言を残している。
 
これは、井戸端会議のように自分の感覚に反して上辺だけ共感するという意味ではなく、自分の私見を入れずに、ただ「あぁ、相手はこう思うんだな」と受け止めることで相手と信頼関係を築いていくことが出来るというもの。
 
課題の分離については、「他者の課題に踏み込まない」ということだが、今回のタイトルである「上から目線でアドバイスしてくる人」に当てはめて考えてみると、求めていない人にアドバイスをすることは相手の課題に土足で踏み入ることにもなりうる。
逆に言えば、そうやって土足で相手の課題に踏み込む(踏み込まれる)から人間関係のトラブルになる、とも言えるそうな。
心配してアドバイスしてしまう人にしても、優越コンプレックスからアドバイスする人にしても、本の中にある通り
『他者を支配したり操作することは出来ない』
という大前提に立つことも大事ということか。ふむふむ、確かにそうだな。
 
ちなみに「課題の分離」において誰の課題かを見分けるポイントは、
“最終的に誰が困るか”
という所で判断できるそうな。
 
 
はい!
という訳で、まとめ☆
 
うん、まぁ〜なんだろ。
上から目線でアドバイスしちゃう人も、その人なりに大変だったり苦しかったりするんだろうなーと思えた事で、
相手への理解を深めるという目的は達成できたのでよかった^^
 
実は今回、過去に“アドバイスして欲しい”とお願いされたことを鵜呑みにして相手の課題に踏み込んだ私も浅はかだったが、一見するとピースフルに見えるやりとりをしていたとしても、毎回このパターンとなると本質的には実に不毛なことを繰り返している為、もう今後はここまでの莫大なエネルギーを掛けることは無いかな。…とか言いつつこんな長くて面倒な研究を相手の為に真剣に全力投球でしてしまう私、おつかれちゃん!w 
 
まぁ相手に対する理解は深まったものの、溝は深そうだ。
諦めて手放すに限る(^ω^;
 
ふー、色んなことがちゃんと分かってスッキリ!
ご清聴、恐れ入ります。
 
 
※注意
この記事はアドラー心理学の本を読んだ感想のような記事であり、私はとくに専門家でもありませんので話8割程度に留めてくださいませ。
アドラー心理学を知りたい方や学びたい方は、それにふさわしい本や機関で学んで頂きますよう、ご理解のほどお願い致します。
 
 
追伸

↓私自身も時々聞いてよく肝に銘じています(笑)

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm13513092

 

 
pisca

ただ今「心地良さ」の絶賛☆卒業試験中

最近、PCの調子が悪くて全然書けずにいて「書きたい」というよりは「そろそろ書かなきゃ」みたいな気持ちになる事も多かった、ここ1ヵ月。

 

それが「書けないなら書けないでも、まぁいっか!」と思っていた矢先に別件の用事でPCを開いてみると、意外や調子が良かったりするから不思議よね(笑)

モノも想いも手放してこそ自由に出入りできる、って事なのかしら?( ・∀・)

 

ところで、私は今、ライフワークの他に時短の仕事探しをしているのだけれども、どうにも『卒業試験』の雰囲気が漂っています。

 

というのも、前職でうっかりブラック企業に勤めてしまい心身の体調不良に陥って強制終了だったのだけれども、すっかり回復して、さて仕事探しするかというタイミングで、「心地良く生きるって大切だな」と考える機会を友に貰い、ますますライトに軽くなってきてました。

 

もはや、

生きてるだけで幸せ~♪

ってな状態!^^

 

お気に入りのマグカップを見つめてるだけで幸せな気持ちになるし、幸せそうな人を見ると心がホッとするし、お散歩して景色を見てるだけで「人も自然も動物もこの土地で皆で生きてるんだよな~^^」なんて、身の回りの全ての存在が仲間でありキラッキラに輝いてるように感じて、それだけでもう胸がいっぱいになるんだよね♪

 

いやぁ、私って幸せだなぁ~(*>v<*)

日々の満足度100%☆

 

さて、そんな心地良く生きてる毎日の中で仕事探しをしている訳だけれども・・

 

実は最近、働き始めて2日目に「あ!これアカンやつや」って気がついて、オーナーと時間をかけて話し合った結果、お互いのニーズがすれ違っていた事が分かり、悩んだ末に辞めるという出来事がありました。

 

家族に話を聞いて貰ったり、カードの力も借りながら自分の気持ちを整理しているうちに気がついた☆

あ、これ『卒業試験』だったんだな~って。

 

ブラック企業の時は違和感を感じても気がつかないフリをして結果として強制終了になった訳だけれど、今回はちゃんと違和感を大切な情報として受け取り、心地良い方を選択出来るか?っていう卒業試験。

 

ちゃんとパスできてよかった♪

ちなみに卒業試験、まだまだ続いてるよ(笑)

 

今2社からオファーが来ているけれど今朝、A社の詳細を聞いてみたら・・来た来た違和感!^^;

社長がご高齢で瞬間湯沸かし器のように怒鳴り散らすタイプの人らしく、それを聞き流せる人だと有り難いとの事。うん、HSPにはまず無理だね!笑

 

私の希望に近く条件もいい会社なので気持ちは揺れるけど、かなり内部の詳細まで事前に話してくれたこと自体がメッセージだったなと思うし、試しにカードに「どう思う?」って話しかけてみても『"Wait"!心地良く生きるって決めたじゃん〜♪😊 ほれほれこのカードも見てみ、"BeYourself"だよ』だそうで「あ、やっぱり?だよねぇ~~(^o^;」って感じでした。

 

余談ですが、もともと私はイルカのエネルギーと相性が良いらしくイルカカードがパートナーになっていたけれど、最近占い師のお友達にカードの浄化をして貰ったり彼女がカードとの付き合い方を体現してくれたことで、ご無沙汰していた妖精のエネルギーとも繋がれるようになりまして(*´ω`*)

昔みたいに単なる依存ではなく、この目に見えない存在達と良いパートナーシップを築けています♪

しかも面白いことに、イルカと妖精って相性が良いみたいでお互いの良さを補完し合うような仲みたい。いや〜調和してるって素晴らしい(*˘︶˘*).。.:*♡

 

話は戻るけど、もう1社の方はどうかな?

詳細を聞くのが楽しみだな♪

だけど、その1社に固執せんようにしないとな(・ω・)

 

まぁ心地良く生きてればそのうち自分に合う心地良い職場に出会えるさ~っと♪

 

・・と、ここでPCが不調を訴え始めているな。

きっと書くべきことは書けたという事なのであろう☆

 

ではでは、また会う日まで~

 

 

 

pisca

 

 

あると思った瞬間に“ある”! と 空想ファンタジー

自分自身の創作や空想、アイディアの原点はどこかっていうと間違いなく小さい頃から慣れ親しんでいるファンタジーや漫画ゲームの世界で、今でも暇さえあれば二次元の世界に出掛けていっています(*´ω`*)♡

 

昔から「そこに、“ある”!」と思った瞬間から、実際にそこに「ある!」というのを何となく体感として実感していて、たぶんその感覚が、いわゆる直感とか、目に見えないエネルギーを感じ取るセンサーになっているのだと思うのだけれども、

 

今までその「あると思った瞬間に“ある”」という感覚をいまいち言語化出来ていなかったのが、気晴らしに見たディズニーアニメーション映画『アラジン』を見てみたら、これまでの関連知識がカチカチカチッと繋がっていって、腑に落とすことに成功☆

いぇーい!やった〜(*^^)v

 

昔のディズニー作品って「願えば叶う」というテーマが多かったように思うのだけど、特にアラジンでは魔法のランプを使って『具体的に願わないと叶わない』という世界観を持っている。

 

『願えば、叶う』。

 

逆に言えば、『願いをハッキリさせないと叶わない』ということ。

 

という事は、私がこれまで体感していたその感覚というのは「“ある”という願いがハッキリしているから、そう思った瞬間に“ある”」という事になるんだよね。空間の関係もあると思うから物理的に叶うには時差があるとは思うけど、エネルギー的にはたぶんjust timeでタイムラインは動いている気がする。( ・∀・)

 

アシュタールAミナミさんの本の中に確かこんなのがあったはず。

「夢を叶えたいならば名前をつければいい」という言葉で、これっていうのは本の中の例えで言うと、カーナビで目的地にたどり着くには到着地(名称とか住所)を入力すれば、カーナビが目的地まで自動で連れてってくれる…という事でした。

 

つまり、自分で目的地を入れて運転していかない限りは目的地に辿り着けないという事なんだけれども、またまたこれに似ているのが、

ひすいこたろうさんの提唱する予祝という考え方。

 

予祝は実際に叶ったら鼻血を出すレベルでイメージして先にお祝いすることで願いを叶えてしまおう!というもの。

 

空想…いや妄想?が好きな私にとって予祝はほとんどファンタジーの世界観で、とにかくやってると楽しいから、予祝手帳を使ってウキウキしながら書いてる…という感じ♪(^^)

 

魔法のランプ、アシュタールの目的地、ひすいさんの予祝。

 

そっかぁ〜全部やってることは同じだったんだね♪“ある!”の体感が共通してるって事で良かったんだな?なるほどナルホド(*´∀`)

 

これらを全部繋ぎ合わせられたという事は、もっともっと!自由に願ったり叶えたりという事が今後出来ていきそうな予感〜(*˘︶˘*).。.:*♡

 

ところで私、小学生の頃かな?ゲームでPRGやってる時に「人間ほんとに頑張ったら手からファイヤーとか、回復ヒーリングとか出来るんじゃないかなぁ?(・・??」なんて本気で信じていた訳だけれども、

 

まさかあれから二十数年後には本当にレイキを使ってヒーリングしてるとは…って感じなんだよね(笑)

 

まだ手からファイヤーは出せないし瞬間移動も出来ないけれども、自然界に存在しない成分で出来ている人間って本っ当に不思議で、まさに奇跡の塊のようなモノだと私は思っているので、だからファンタジーの世界ってあながち嘘って訳ではないと思うんだ。

 

製作者のインスピレーションは、たぶんこれまでの経験則からではないはずなんだよね。だってこの地球には手からファイヤー出せる人なんていなかったはずだもの。(まぁ、もしかしたら居たかもしれないけど常識的には居ないというか…)そう考えると一体どうしたら手からファイヤー、いやそもそも魔法なんて概念が生まれようか?って感じな訳で…(゜o゜;

 

手からファイヤーや魔法なんて普通に考えれば不可能と思われていそうな、そういうインスピレーションがどこから来てるのかってことを考えると、案外、宇宙のどこかでの実在(ノンフィクション)を、ファンタジー(フィクション)として地球に卸して来ているような気がする☆彡

 

“地球規模”ではなくて、“宇宙の中の星の1つである地球”という規模で考えてみると、この地球世界で、人間という不思議な存在がね、

 

Kan.さん風に言うならば、

メイドイン地球の枠をどこまで外していけるか?

どこまで“人間”という存在の常識を覆せるのか?

…こういうのを考えるのが私はめっっちゃ楽しいんだよね♪

空想の醍醐味ってやつだわ!(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

う〜んそれにしても!やっぱりぜひ一度、長崎のあんでるせんには行ってみたいものだなー♡楽しそう(*˘︶˘*).。.:*♡

 

 

pisca

同じ周波数同士は、惹かれあうことを実感!

人生でたまに起きる、不思議な出会い。
宇宙の采配とはこのことかと感じる程のご縁。

 

これまでのコミュニティでは無く、まったく何もないところから、まるで「ぽん!」と急に現れたかのような、新しいお友達。

 

フィーリングで惹かれあったから会ってみたら、共通点がやまほど!
すぐに意気投合☆
シンクロニシティも、これでもかってくらい沢山!!

 

「類は友を呼ぶ」とか「周波数が同じ」とか「棲み分け」とか、本当にそうなんだなぁ~~と実感しました(^^;

 

そういえば、今まで考えたこと無かったけれど。


『フィーリングで惹かれあう』って言うのは、一体、お互いに相手のどの部分を見て感じているのだろう?なんて考えてしまったけれど、

うーん、きっと見えない所の領域を敏感に感じ取ってのことなんだろうなぁと実感しました♪

 

きっと、自分と似た周波数同士は本当にごく自然に惹かれあっていて、
たとえば電車やバスで隣り合う人や、
スーパーでどのレジに行くかとか、
そんな風に皆、自然に惹かれあって近づいては離れてゆく・・
なんて事を日常的に繰り返しやってるんだろうな^^

 

もしかしたら、学生時代の席替えのくじ引きなんかも、そんな不思議な何かが働いて決まっていたりして☆

 

私には見えないけれど、ガイドさん?とかハイヤーセルフさん?なる存在達は、お互いに「よっ!じゃまた近いうちに(^0^)/」「お~そんときゃヨロシク(^v^)/」
なんてコンタクト取ってたりして・・(笑)

想像で思い描いてみたらなんだか可愛らしくて「ふっ・・♪」なんて笑ってしまう。

 

でも、考えてみたら、

 

『私は素敵な人にばかり出会う』
とか
『私ほんっといつもラッキーばかりなんだよね』
とか、
『お金に困ったことないんだよね』
なんて、

そんな風に思って過ごしている方がそういう出来事と出会っていくんだよ・・

 

・・なんてことを今まで知識としては知っていたけれど、
なんとなく「??」状態だったのが、

今日は腑に落ちるところまでいけた感じ☆

 

もう本当にあれやね、楽しく生きるのが一番!

 

うむ!
順調、順調!

 

前途洋洋~(^▽^)♪

 

 

pisca

映画「シンデレラ」が教えてくれる 愛と許し とマザーテレサの言葉

おとといのマザーテレサの日めくりカレンダーの言葉。

 

『愛される為には、心を開くだけでいいのです』。

 

「愛される」とは、
愛される為に一生懸命頑張ることではなく。

「愛される」とは、
愛されることを心を開いて受け容れること。

 

ちょっとうろ覚えだけど、そんな事が書いてありました^^

 

そして今日、たまたま録画してあった映画「シンデレラ」を鑑賞していたら、シンデレラがガラスの靴を履いて王子と結ばれるラストシーンで同じような事を台詞の中で言っていてシンクロでした♪

 

シンデレラ:
国王陛下(王子)、私はプリンセスではありません。
馬車もないし、親もいない。持参金もありません。
その美しい靴が足に合うのかも分かりません。
もし合えば、ありのままの私を受け容れてくださいますか?
あなたを愛する村娘を。

 

王子:
もちろん受け容れる。
ありのままの僕を受け容れてくれるなら。

 


う~んシンクロ!
そうなんだよなぁ、完璧ではない自分をウケイレて心を開くことで、愛されることをも受け容れる、そういうことなんだなぁと^^

 


ありのままの相手を受け容れるって時に難しいこともあるし、
ありのままの自分を受け容れて貰うのも勇気が必要な時もある。


可愛さあまって憎さ百倍
とか、
愛は・・何だろ憎悪?の裏返し
みたいな言葉があるけれど、

 

自分にとってどうでも良い相手は受け容れようが受け容れられまいが、やっぱりどうでも良かったりするけれども、

自分にとって大切な存在であればあるほど、
愛も憎しみも、とても振れ幅が大きい。
愛ならいいけど、憎しみになってしまった場合は何より一番自分が苦しくなるから(^^;

 

そうなってくると、必要になってくるのが
『許し』。

 

相手を許すこと。
そして、誰かに憎しみを抱いてしまった自分すらも許すこと。

 

許しは、相手を愛することにも、自分を愛する事にも繋がるんだね(*^^)v

 

で、そう思ったのは何故かというと、初めの方のシーンでエラ(シンデレラ)の最愛のお母さんがエラに遺した言葉があったから。

 

エラの母:
勇気と優しさを忘れないこと。
優しさには力があるの。驚くほどの力が。魔法の力よ。
どんな時も勇気と優しさを持ち続けてね。
ママはもうお空に行かないといけないの。
ママのこと、許してね


エラ:
ママ、もちろんよ。

 

エラはずっと母の言葉を胸に、母のような女性を目指して頑張ってきた訳です。

そして最後に散々ひどいことをしてきた継母に別れを告げるシーンで、エラは継母を少しだけ哀れむようにじっと見つめてこう言ったんです。

 

エラ:
あなたの事を許します。

 

あぁ、本当にエラの中でお母さんの存在は大きくて、お母さんに支えられ、そして本当に大好きなお母さんのような素敵な女性になったんだなぁ・・

 

と思うと同時に、

 

最後まで優しさを持ち続けて、相手を許すし憎しみを愛に変える勇気。

相手を許すことが、結果として自分自身への優しさにもなるという事か・・なるほど。


と、そんな風に思い感動しました。

 

最後、結婚式の衣装で王子と幸せそうに微笑みあい、観衆の祝福を受けている姿を見て、

 

「よかったねぇ~~~っ!!涙
これまでよく頑張ってきたねぇ・・
私はちゃんと一生懸命やってきたのを見守っていたからね~~!
偉かったねぇ・・末永く幸せである事を祈ってるからね~!><(感涙)」

 

と、またまた大・号・泣☆

(笑)

 

 

なんだか最近、涙もろくなってきてる(^^;

感受性のリミッターが外れてる感じがしていて、
エネルギー的にも何かが変わろうとしているかのような、そんな気配。

ここのところ頻繁に起きるシンクロニシティが、
「心配しなくても大丈夫だよ~順調順調♪ 焦っちゃダメだよ☆」
と言ってくれているみたいで、なんだか幸せ感もある^^


私も楽しく新しいステージに行けるよう、
自身の心と丁寧に付き合っていこうと思ふ今日このごろ。

 

 

pisca

 

依存も特別意識も大切なもの

あくまで私の経験上ではだけれども(^^) 

スピリチュアルにしろノンデュアリティ(非二元論)にしろ・・

 

どっぷりハマって依存してしまうのは何故だろうか?


ってことを振り返って考えてみると、そういった教えというものは、あなたは選ばれし者だという『選民意識』を与えられ、あなたこそが必要とされている存在なのだという『承認欲求』を満たしてくれるからだと思う。

 

他の言い方としては、
あなたは唯一無二の特別な存在であるという『特別意識』というものもあるかな?

 

決して悪い訳では無いし、もともと自尊心が低くて自分に自信が無かった私にとっては必要不可欠な経験だったと思う。
この経験があってよかった!と心から思う😃

 

なぜなら、これらの要素は「自分という存在を肯定する事」においてはとても大切な要素であると思うから。

 

でも、これらの『選民意識』、『承認欲求』、『特別意識』というのは十分に満たされた、学んだと思ったら手放すことが大切だなぁとしみじみ思う。

これが行きすぎてしまうと、私が体験した通り“依存”となってしまうから。

 

これらをうまく使ってるのが宗教で、たとえ教えそのものがその宗教のトップ(先生)による “一人ひとりの自立を促す教え” だったとしても…

 

それを学ぶ人の認識が「この先生にさえついていけば」とか「いざとなったら先生が救ってくれる」みたいになってくると、自分と同じ人間であるにも関わらず神格化されてしまい、それはもうただの依存になっちゃうんだよね。

 

そしてそういう人には何を言っても響かなかったんだよなぁ~(;´∀`)

 

判断基準は自分がどう思うかじゃなくて先生だったし、ほんと、先生以外の意見には聞く耳持たない方々だった(苦笑)


尊敬する気持ちは分かるんだけど、それがこう・・行きすぎた熱気になってしまっているというか、狂気じみた印象を受けたことで私は離れたんだよねぇ(^^;

 

私もライフワークで師事している先生はいるけれど、ある時「先生いなくなったらめっちゃ困るな私・・」と思った自分に気がついて、非っ常~~に危機感を感じた。汗


このままではイカンな自分、と…(汗)


先生から学べるものうちに学んで、最終的に自分でどんな事例にも対処できるよう本当の意味での独り立ちを目指してる^^

 

ところで、宗教だけじゃなくて、高次元存在によるチャネリング情報でも同じようなことが言えるんじゃないかなと思っている。

 

チャネリング元である存在の意向にもよると思うけど、信じる信じないは別にしても「あ、スッと入ってくるな」というものは純粋な善意や愛から発信されていると感じるし、自立を促す印象を受ける。


もちろん勉強になることも多々あるし、新しい情報は自身を刺激し、発見にも繋がるから、私もその情報を取り入れたりする。

 

ただ、自分の反応を確かめながら、注意深く・・だ☆
依存に繋がる可能性があるからね。
それなしに生きていけないような感覚になって、自分を見失ってしまうのは頂けない。

  

だから私の情報収集の基本姿勢は、腑に落ちるまでは保留、そして広く浅く。


自分の感性を主軸にすることで、様々な情報を照らし合わせて、自分で考えるチカラを養う訓練にもなって一石二鳥!^^


その情報が白か黒かなんて、その人の価値観によって簡単に変わるじゃんね、だからグレーで保留する心のゆとりが大事かなーと、今のところはそう思ってる。

 

でも面白いもので…

おおもとの情報って、より多くの人に受け取って貰えるように工夫しているように感じる。色んな個性を持ったチャネラーを通して、様々なバリエーションで伝えることで、より多くの人に届くようにしている、みたいな。

 

だから、どれを選んでもいいんだろうな、きっと(^^)v☆

 

たとえば、富士山を登頂するには4つの登山口があるけれど、どの登山口から登っても必ず頂上に辿りつけるように、どの存在&チャネラーでもいいと思うんだよね。

 

それぞれの登山口に、景色などの趣きや、あるいは初めて登山する人~上級者までの難易度があるように、自分の受け取りやすい存在やチャネラーさんを選べばいいと思う。

 

でも、その存在やチャネラーの情報だけが真実で、これ以外は真実ではない、と思って執着固執してしまう<依存してしまう>のは、非常にもったいないように私は感じる。

 

それって「この登山口以外は登山道ではない!」と言っているようなもので、色んな登山口から登ることで色んな角度からの景色が見えて、色んな植物が自生していて、しかもそれらの景色はきっとどれも素晴らしいであろうに、ひとつの登山口しか登らないなんてなぁ~と思ってしまう。私はね。

 

色々試してみて、この登山口こそが自分に合ってて楽しいからこの道を選ぶと感じるなら、それもいい。っていうか、むしろGOOD♪

 

「他の登山口にもそれぞれ良さはあるけれど、私はこれが好きなんだ♪」って自分の気持ちを軸にしたスタンスの方が、お互いに個性を認めあってるようでいいよね。


他の登山口も「気分転換したくなったらおいで♪」なんて思うであろうなと^^。

 

存在にも、チャネラーにも、そして自分自身にも個性という趣きがあるから☆

 

探求って楽しいし、新しい情報に触れるのって面白い!

 

だからこそ、

もっと自分の枠を大きく広げて、自由に♪

ぜーんぶOK!と、もっと軽やかに♪

 

でも、今こうして思えるのは、私自身が過去に『選民意識』『承認欲求』『特別意識』にどっぷり依存した過程があるからこそ。

良い経験したなぁ。

 

だから、そんな過去の自分も大切だし愛おしい(^^)

 

 

ppisca

 

プラネタリウム『いのちの星の詩』と、木星と、音楽と、シリウスと・・♪

先週、春からず~~っと行きたかったプラネタリウムへ行ってきました^^

平原綾香さんの『いのちの星の詩(うた)』というプログラムです。

そう、なんであの時「Jupiterの歌詞ってどんなだっけな?」なんて思ったかというと、このプラネタリウムのテーマが木星に関することだったからなのでした♪

 

平原さんは、初めてホルストの惑星組曲の「木星」を聞いた時にものすごい衝撃を受けたそうです。ちょっとうろ覚えではありますが、確かこんな事を仰ってました。

 

『音楽というのは知識の中だけから生まれるのではなく、直観のような、宇宙の何かが働いているように思えてならない』

 

私も授業で初めて聞いた時は、不思議と古さを感じさせない美しいメロディーに感動しましたが、あの歌詞をつけて歌い上げられた平原さんにも宇宙の何かが働いていたんだろうなぁ。素晴らしいと感じます。

素敵な歌にして私達のもとに届けてくれてありがとう^^

 

世の中には、それこそ星の数ほど音楽があると思いますが、この人の声によって歌われるべくして歌われた曲や、創られるべくして作曲された曲っていうのがあるような気がしています。何よりラッキーなのは『自分の心を揺さぶるほどの音楽に出会える時代や、国、ひいてはこの星に生まれてきた』っていう事なのかもしれません♪

 

ところで、プラネタリウムですので大迫力のスクリーンに宇宙旅行している気分になりますが、小学校や中学時代の理科の授業はあまり興味が無かった為か、スッコーン!と記憶喪失ばりに忘れてしまっている為、太陽系や銀河の話はまるで生まれて初めて聞くかのような感動がありました☆笑

 

今回の上映で、水があり生命が育まれる環境である地球って本当にものすごい奇跡が重なった上で成り立っているという事が分かり、ものすごいビックリしました。少しでも感動を伝えたいので説明を試みますが、いかんせん理科の成績は「2」だったので間違ってたらゴメンナサイ(^^;

 

えっとですね、、

地球は、金星と火星の間に存在している訳ですが・・・
太陽光が届かなかったり逆に太陽に近すぎたりすることで、金星と火星には生命が育たなかったそうです。にも関わらず、地球は、その金星と火星の間という範囲内にあることで、水があり生命を育めたとのこと。地球があと少しでもどちらかの惑星に軌道が寄っていたら、いのち豊かな水がある星にはならなかった事を考えても、このベストポジションで存在してる事自体がものすごい確率であり、それこそ奇跡的と言えるのだそうです。

 

さらに、太陽から見て地球の一つ外側に存在している木星
木星は直径で地球約11個分もの大きさということで、とにかく巨大な惑星!いや~もう木星ってばBIGな星で、BIGりですね!・・え?あ、ウケなかったすか?w まぁいいや(笑)コホン!

・・・で、木星自体は物質ではなく気体の集まりなのだそうですが、強力な磁力がある為、木星の背後から太陽に向かっていく隕石をカラダを張って磁力でひきつけることで、地球を守ってくれているとのこと。スクリーン上でも言っておられましたが、木星がなかったら、たぶん地球は隕石の絶えない大変な世界になっていた事でしょう・・^^;

 

さらにさらに、想像していた以上に太陽も強力な太陽光を放っていると知りました。

太陽光には有害な紫外線も含まれていて、地球ももちろん太陽光を浴びている訳ですが、オゾン層の膜で覆われている為に有害なものは届かない為に無事なのだそうです。

ただ、このオゾン層

なんとなんと・・リンゴに例えると皮の薄さ程度しかないそう。非常に驚いたのですが「あぁ、地球のこと大切にしないとなぁ・・」なんて改めて思いました^^ 

ちなみに、この強力な太陽光エネルギー。どのくらい強力に光を放っているかっていうと、太陽系の惑星すべてをすっぽり覆うほど広範囲に渡って光を放っているそうです。そして同時に太陽光出来た繭のように、地球をはじめとする太陽系の惑星すべてを宇宙に存在する有害な光線?や隕石などから守る役割も担ってくれているそうです。

 

太陽エネルギーの光の繭にしても、カラダを張って守ってくれている木星にしても、私たちの日々の生活を守ってくれているオゾン層にしても、どれ一つが欠けても私たち人間は存在していなかった・・と考えると、すごくないですか!?

私達が地球に暮らしているのって、当たり前のように感じますが、宇宙規模で考えても本当に奇跡。すごいこと。生きてること、生まれてきたこと、本当に感慨深く思いました。

 

話は少し変わりますが、焼津には世界的に有名な望遠鏡製作者の法月惣次郎さんという方が住んでおられたそうでして。

83歳にて永眠されましたが、そのわずか2年前に完成させた、350・・? いや、360・・何号機だったかな?ちょっと忘れましたが、その望遠鏡が口径80cmという希少な望遠鏡なんだそうです。

www.discoverypark.jp

この望遠鏡が館内の最上階に展示されているのですが、なんと昼間も星を見られるとのことでして「昼間に星が見られる・・だと⁉ぜひ見てみたい‼」という事で見学してみたら、あいにくの曇り空。残念だけど見られないかな~と思っていたのですが、専門のスタッフさんとお天道様が息を合わせるかのように、めっちゃ頑張ってくれました結果!見れたのです~~!!

 

私、生まれて初めて…

シリウスという一等星を見てしまいました!

それも昼間に!!

 

望遠鏡をのぞきこむと、夜に観測するような黒い背景ではなく、白。晴れていれば本当は青空色の背景なのだそうですが、曇り空ということで真っ白でした。

のぞきこむ角度を調整しながらよーく見てみると、ダイヤモンドに光が当たった時のように眩しい光をギラギラと放つ星が・・・!!ほぅ…これがシリウス…!!。

電灯とかLEDとか照明とか、身の回りにはたくさんの光るものはありますが、

あんな輝き方をした光・・・もはや眩しすぎて白いのか銀色なのかも分からなくなるような強い光の粒を1箇所に凝縮して、その1つ1つの光の粒がまるで自ら意志を持って“我先に光らん”としているかのような、そんな星の強い光は、私はこれまでに観たことがありませんでした。この感動は言葉では言い表せません。

余談ですが、シリウスはイルカとのご縁がある星と聞いていますのでなんだかちょっと嬉しくなりました^^

 

シーズンによっては、土星の輪っかもくっきりと見えるそうで、今年中はちょうど「土星と言えばあの形」という形で見られるそうです。年によっては輪っかの位置が移動してしまうので、次にこのきれいな形で見れるのは10数年後とか言ってたっけかな?ま、なんにしろ望遠鏡で惑星見る機会なんて日常には無いですからね、一度この眼で見てみたいなぁ~なんて思いました♪

 

宇宙って、惑星って、生きてるって、音楽って、すごい!

 

 

pisca